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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)3826号 判決 1979年9月18日

原告 渡部久男 外一名

被告 藤間幸道

主文

一  被告は、原告らそれぞれに対し、各金三三〇万円及び内金三〇〇万円に対する昭和五一年一一月一六日から、内金三〇万円に対する本判決確定の日から各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一1  請求原因一の事実は、訴外和貴の現在の症状及び同人が先天性風疹症侯群による先天性異常児であるか否かの点を除いて、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一〇号証の一ないし三、第一三号証、原告渡部久男、同渡部律子各本人尋問の結果を総合すると、訴外和貴は現在、全盲で、生後二年以上を経過したにもかかわらず、立つこともできない状態であるうえ、高度の知能障害があること、そして、昭和五四年四月二四日に同訴外人を診察した厚生中央病院小児科の石神喜久医師は、右和貴の症状を先天性風疹症候群であろうと思われる旨診断していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  いずれも成立に争いのない甲第一ないし第七号証、甲第一二号証、乙第五号証に弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ右認定に反する証拠はない。

(一)  風疹は、それに特有なはしかに似た発疹、軽い発熱、リンパ節の腫脹の三つを臨床上の主徴とするウイルス性発疹症であり、わが国においては、昭和五〇年春に流行のきざしが見え、原告律子が妊娠した昭和五一年冬から春にかけては全国的に大流行した。

(二)  風疹ウイルスの胎内感染を受けて出生した児を先天性風疹と総称し、このうち、多種多様の先天異常所見を呈するものは、「先天性風疹症候群」又は「風疹症候群」と呼ばれ、先天性風疹症候群は、母体が風疹ウイルスに感染し、胎盤感染に続いて胎児も子宮内感染を受けて発生するものであり、そのために自然流産や死産をおこすことが多いが、妊娠が風疹に罹患すると、風疹ウイルスは発疹の発現の一週間前にウイレミア(ウイルス血症)をおこし、これが妊娠初期三か月以内であると胎盤感染、ついで胎児(胎芽)に感染し、胎児にウイレミア(ウイルス血症)をおこし、播種性に多くの器管に慢性持続感染をおこし、器管形成の臨界期を通じて、この慢性持続感染は細胞増殖を抑制するため、各種の先天異常をもたらす。

(三)  妊婦が風疹に罹患するとどの位の確率で先天性風疹症候群児の出生があるかということについては妊娠二か月以内に風疹に罹患すると一〇〇パーセント、三か月以内では五〇パーセントとするもの、妊娠一か月以内の罹患では三三パーセント、二か月以内で二五パーセント、三か月以内で九パーセントとするもの、妊娠一か月以内で五八パーセント、二か月以内で三六パーセントであるとするもの、妊娠一か月ないし二か月以内に風疹に罹患すると完全に健康な子供の生まれる可能性は一二ないし一六パーセントしかないものとするもの等多数の調査報告がなされており、今日では一般に、妊婦が妊娠一ないし二か月以内に風疹に罹患した場合には、二〇ないし八〇パーセント位の範囲内の確率で先天性異常児出産の危険性があるものと考えられている。特に、昭和五一年二月二七日付各都道府県衛生主管部(局)長宛厚生省児童家庭局母子衛生課長内簡により参考送付された厚生省「風疹の胎児に及ぼす影響に関する研究」班作成の「風疹について」によれば、先天性風疹症候群発生の危険率としては、妊娠一か月以内の顕性感染で約五〇パーセント、三か月以内であれば約二〇パーセントとされ、症状との関係では、眼症状、心奇形は妊娠三か月以内の感染であらわれると考えられるとされていた。

(四)  そして、先天性風疹症候群の臨床症状としては、原告ら主張のとおり、眼、心臓の障害、難聴、中枢神経系の障害や知能障害が挙げられている。

(五)  また、妊婦が風疹に罹患したか否かを確認するには、妊婦の風疹の臨床症状を見ることは不可欠であり、又疫学的観点も欠かせないが、最も重要とされるウイルス学的診断には患者から直接ウイルスを分離する方法と患者の血清中から産出される抗体を測定することにより感染の有無を明らかにする血清診断とがあり、後者の抗体の測定方法としては、HI検査法をはじめ数種類あるが、簡単でかつ精度の高い検査法としてHI検査法が今日では一般的に利用されている。HI検査法は原告ら主張のとおりの方法で抗体価を測定するものであるが、HI抗体価は、血清の希釈を八倍から二倍ずつの段階で希釈していくので、八、一六、三二、六四、・・・という数字を示し、免疫のない者が風疹に罹患した場合、抗体価は発疹出現まで八未満の陰性を示すが、発病時に抗体価が上がりはじめ、発病後二ないし四週間で上限に達し、五一二ないし二〇四六の値を示すまでに上昇し、その後は徐々に低下し、罹患三か月以降から数年の経過で徐々に下降していき、八ないし一六の値に落ちつくのが通常である。

前記「風疹について」は風疹の抗体価と判断のめやすとして、HI抗体価が二五六倍以上であれば「比較的最近に風疹に感染している。」「最近発疹やリンパ節のはれる熱性疾患にかかつていればそれが風疹であつた可能性がある。」とし、また、初病期の採血がおくれたり、不能であり、回復期(二ないし四病週)のみの血清が得られたときはその抗体価が五一二倍以上であると風疹罹患の可能性が高くなるとしていた。

3  ところで、成立に争いのない甲第八号証の一、乙第一号証の一、原告渡部律子、被告各本人尋問の結果を総合すると、原告律子は、昭和五一年二月末から三月初旬の間に風疹と思われる疾病に罹患し、発疹や発熱等の症状が約一週間程続いたこと、同年二月二二日から一週間を最終月経として生理が止まりこのころ妊娠したこと、被告は、同年四月七日の初診の際に同原告が妊娠七週の状態であると診断したうえ、同原告から同年二月末ころ風疹と思われる疾病に罹患した旨の申告を受けたことから、同原告の風疹罹患の有無を確定的に判断するために、HI検査法によるHI抗体価測定を含めた各種検査のための血清検査を行うこととし、翌八日、右検査のために同原告から血液を採取し、これを即日中野区医師会臨床検査センターに送付して検査を委託したところ、同月二二日ころ原告律子のHI抗体価の測定値は五一二倍という数値である旨の検査結果が判明したことが認められ(昭和五一年四月七日に原告律子が初めて被告の診察を受けたこと、その際被告が同原告から、昭和五一年二月末ころ、風疹と思われる疾病に罹患した旨の申告を受けたこと、同原告が妊娠七週の状態であつたこと及び同原告のHI検査法による抗体価が五一二倍であつたことは当事者間に争いがない。)、他に右認定に反する証拠はない。

4  以上の事実を総合して考えると、原告律子はその妊娠のごく初期の段階で風疹に罹患したものであり(同原告が昭和五一年二月二八日ごろ風疹に罹患したものと被告が判断したことは被告の自認するところである。)、訴外和貴の前記症状は先天性風疹症候群であると認めるのが相当であり、右認定に反する被告本人の供述も右認定を左右するには足りない。

二  そこで被告の責任について判断する。

1  およそ産科医として、妊娠と極めて接近した時期に風疹に罹患したものと疑われる妊婦から、出産の可否について判断を求められた場合には、適切な方法を用いて妊婦の過去における風疹罹患の有無及びその時期を究明し、その結果を妊婦らに報告するとともに、風疹罹患による先天性異常児の出産の可能性について十分に説明し、妊婦らに対して出産するか否かを判断するための適切な助言を与えるべき一般的注意義務があることは被告も認めるところであり、前記一、2で認定した妊婦の風疹罹患による先天性異常児出産の確率及び先天性風疹症候群の臨床症状に鑑みれば、右一般的注意義務の存在は首肯してしかるべきものである。

2  原告律子が、昭和五一年二月末ころ、風疹と思われる疾病に罹患したが、それが回復した直後に妊娠の徴候を自覚するようになつたことは前記のとおりであるところ、原告渡部久男及び同渡部律子各本人尋問の結果によれば、当時は風疹が全国的に大流行しており、新聞等によつて妊婦が風疹罹患により先天性異常児を出産する可能性についてしばしば報道されたりしていたことから、原告らは、もし右の如き可能性のある妊娠であるならば、同原告らの若さから考えて、後々再度の妊娠も可能であるのだから、あくまでも出産というようにはこだわらず、とりあえず専門家である医師に原告律子の妊娠の有無及び仮に妊娠していた場合その出産の可否について診断を求めるために、原告律子において、同年四月七日、被告医院を訪れたことを認めることができ(本件当時風疹が全国的に大流行していたこと及び原告律子が昭和五一年四月七日に始めて被告医院を訪れたことは当事者間に争いがない。)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

しかるに、前掲乙第一号証の一、原告渡部律子及び同渡部久男各本人尋問の結果を総合すると、被告は、昭和五一年四月七日の初診の際には、原告律子に対して、血液検査を行いその結果を見てから、生むべきか否かの判断をするようにと述べ、この日には妊婦の風疹罹患による先天性異常児出産の危険性の問題に関しては何等の説明もしなかつたこと、被告は翌八日に同原告の血液を採取したが、この際にも右の点に関してはまつたく説明をせず、ただ右血液検査の検査結果は当時風疹が流行していたことから一〇日位かかるので、そのころ問い合わせるよう指示したに止まること、右指示に基づいて同原告が同年四月下旬に電話で被告に血液検査の結果を問い合わせたところ、ここでも妊婦の風疹罹患による先天性異常児出産の可能性等については説明せず、被告は各種の検査結果をふまえた上で、同原告がそのまま出産しても大丈夫である旨返答をしたこと、更に同年五月八日の再診の際にも被告の方から同原告に対して前記の点に関してやはり何等の説明もしなかつたことが認められる。

被告本人は、初診の際に原告律子に対して、同原告から風疹と思われる疾病に罹患したとの申告を受け、妊娠初期の妊婦が風疹に罹患した場合には先天性異常児出産の危険性があること、従つて原告律子の本件妊娠による出産は諦めた方がよいと勧告した旨供述するが、その勧告をしたと主張する時期は、科学的な検査であるHI検査法によつて原告律子のHI抗体価を測定する以前であつて、右測定結果が判明しない状態で右のような勧告をするとは考え難いうえ、仮に原告律子が専門医である被告からそのような説明、勧告を受けたとするならば、原告らにおいてこれをまつたく無視するのは著しく不自然であるというべきであり、更に、成立に争いのない甲第九及び第一一号証並びに原告渡部久男本人尋問の結果を総合すると、被告は訴外和貴出生の後である昭和五二年九月に、原告久男に対して、本件における原告律子のHI検査法によるHI抗体価の測定結果である五一二倍という数値について、正常値と異常値の境目の数値であるが、先天性異常児が生まれる可能性はまず考えられない旨の説明をしたこと、その際後記認定の訴外和貴の眼の異常が先天性風疹症候群によるものかどうかが問題とされていたのにかかわらず、被告は同原告に対し原告らが出産を諦めた方がよいとの被告の勧告に従わなかつたという指摘を何らしていなかつたことが認められ、又成立に争いのない乙第一号証の二、六及び七、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告は訴外和貴が生まれて後、同人に対した風疹抗体価測定を行つていないこと、被告が訴外和貴の眼の異常を発見したのは、同人の出生後数日経過した後であることが認められ、右認定の諸事実を併せて考えると、被告は昭和五一年四月当時は、HI抗体価五一二倍という数値は先天性異常児出産の危険を示すものではないと誤つて判断しており、従つて原告律子の妊娠継続について何等問題はないと考えていたことが窺われるのであつて、被告の前記供述は到底措信し難いものといわざるを得ない。尚、被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第二号証及び被告本人尋問の結果によれば、被告は、本件に先だつ昭和五一年三月に、中野区医師会新聞に「風疹の大流行に際して」と題する記事を投稿し、その中で、被告は妊娠初期の者の中に風疹患者を見つけたら人工妊娠中絶も含めて対策を準備しつつ、妊婦のHI抗体価を測定しながら、監視を行つている旨記述していることが認められるが、仮に被告が右のような見解を有していたとしても、具体的に原告律子に対して、同女のHI抗体価の測定値について適確に判断したか否か、妊婦の風疹罹患の場合の先天性異常児出産の可能性や確率、先天性風疹症候群児の臨床症状等について十分の具体的説明をしたか否かとは必ずしも結びつかず、右乙第二号証をもつては、未だ前記被告の説明義務懈怠の事実の認定を覆すに足りず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  以上認定事実によれば、被告は、原告律子の本件妊娠については、妊娠のごく初期の段階で風疹に罹患したものであるから、先天性異常児出産の可能性があり、かつその確率は相当に高いものであること、仮に先天性風疹症候群児が出生した場合その臨床症状は、眼、心臓等人体の極めて重要な部分に重度の障害を呈する場合が多く、悲惨なものであること等を、医学的知識のない原告らにおいて出産すべきかどうかの判断が可能である程度に具体的に説明、教示する義務があつたにもかかわらず、右義務を怠り、何等の具体的説明も行わず、かえつて生んでも大丈夫であるとの指示を行つたものであつて、被告には過失があつたものと断定せざるを得ない。

よつて、被告は、原告らに対し後記損害を賠償すべき義務があることが明らかである。

三  ところで、被告は、原告らの本訴請求について、人の生命はそれ自体至尊であつて、先天性風疹症候群による障害を有する可能性のある胎児であつても刑法上の緊急避難、優性保護法による場合等正当事由なしにこれを毀損することは許されず、従つて、何等右正当事由の存しない本件において、仮に被告が原告らをして訴外和貴の出産を決意させたとしても、それは適法、正当な行為であり、むしろ原告らの本訴請求の内容は身体障害者の生命の価値を否定する公序良俗に反するものである旨主張する。

しかしながら、原告らの請求は、妊娠初期における妊婦が風疹に罹患した場合の先天性異常児出産の可能性の著しい高さ及び先天性風疹症候群の臨床症状の深刻さに鑑みれば、産科医としては妊婦らが出産すべきか否かを適確に決断することができるように適切な指導及び助言をなすべき注意義務があることを前提として、被告の右義務懈怠を理由とする損害賠償を求めるものであるから、被告の右主張自体失当である。

四  損害<省略>

五  結論<省略>

(裁判官 山口繁 片桐春一 角田正紀)

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